February 4th, 2005

「スポーツカー」の条件 

1. 前口上

What are decisive-factors for identifying a car as a sports car?  1. Introduction

 スポーツカーは羨望の対象である。特に、自動車のスタイルやメカニズムに興味を抱く人ほど、その思いは強いと思う。実用性に乏しいからと、スポーツカーを持つことに躊躇しても、ドレスアップやチューニング、あるいはノーマルでも、自分の車が他人の車よりスポーティだと認識したときは、それなりにうれしい。まったく自動車に興味が無い人でも、スポーツカーを持つ人に対しては、羨望なり、嫉妬なり、何かしらの感情を抱くだろう。

 この「スポーツカー」という言葉。何気なく口にしてしまうが、果たして何を基準にスポーツカーであると認識するのだろう。
 昨今、スポーツセダン、スポーツワゴンなるカテゴライズが頻出し、過剰なまでにスポーツ性を謳う例がある。逆に、実用性の無さと、無謀運転を誘発するというイメージから、日本のお役所が「スポーツカー」の販売を嫌った時代、メーカーは敢えて「コミューター」と謳ってスポーツ性を隠すというようなことがあった。それでも、そのような「コミューター」は、スタイルや性能からスポーツカーとして認知された。ポルシェにスポーツカーのカタログを請求したところ、レーシングカーのカタログが送られてきたというエピソードがある。ポルシェにとっては、あの911でさえスポーツカーではないというのだ。それでも、911をスポーツカーと呼ぶことに抵抗は無いだろう。

 時代とともに性能は向上し、スポーツカーに対する認識も変わる。また、「ライトウェイトスポーツ」に代表されるように、スポーツカーというカテゴリーが、さらにセグメント化している。そんな中で、スポーツカーに記号性を求めること自体が無理とは言うものの、なんとか万人が認めるスポーツカーの条件を見出せないものだろうか。

 一般的には「セダンの終わりからレーシングカーの始まりまで」という例えがある。FIAのレギュレーションでは、Gr.B、Gr.Cを、「スポーツカー」と定めており、なんとサニートラックはGr.Bにホモロゲートされている。ちなみに、世界の競技シーンで成功を収めたインプレッサWRX、ランサーエボリューション、そしてスカイラインGT-Rは、Gr.Aにホモロゲートされる「量産ツーリングカー」である。これは、あまりしっくり来ない話だろう。
 そもそも、「スポーツカー」は、DOHC、ターボ、V12エンジンや、時速300km/hといった、レーシングカーのイリュージョンとして価値を築いてきた。レーシングカーのみに許されたスペックを奢るという意味で、記号化は容易だったのだ。ところがスペックだけでスポーツカーを語れないのはご承知の通り。コルベットやバイパーのエンジンは、大排気量のOHVである。FFのCR-Xが、後に鳴り物入りで登場したミッドシップのMR2より速いことを示し、多くの人たちを驚かせた。何より、今や私たちはいともたやすく、DOHC、マルチバルブのエンジンやダブル・ウィッシュボーンのサスペンションを獲得でき、最高速度は実測で300km/hを達成する車も少なくない。ダウアーは、ポルシェ962、つまりレーシングカーそのものをを市販車として、ラインナップしている。一方で、2004年のF1バーレーンGPでは、砂埃対策の技術に市販車用のエアクリーナーが役に立ったらしい。もはやここまで来ると、レーシングカーのイリュージョンなどあったもんじゃない。第一、イリュージョンならば、現在のコンピューターゲームが立派に作り出してくれているではないか。

スズキ・カプチーノ。
僅か660ccの排気量で、4バルブDOHC、ターボ、ダブルウィッシュボーンサスペンションを擁する2シーターのコンバーチブル…コンポーネントの形式だけ並べれば、これ以上スーパーな車はそうお目にかかれない。
ダッジ・バイパー。
エンジニアリング的に目を見張るものは少ないが、耐久レースに強く、暴力的に速い。
ダウアー962。
比喩的な表現ではなく、文字通り「公道に舞い降りたレーシングカー」である。
サニートラック。
2座席という理由だけで、FIA Gr.B公認の「スポーツカー」である。ドレスアップのベース車として人気が高い。

 走りに徹した割切りはどうだろう。例えば、ホンダS500,600,800。2シーターであることは、確かに割切りと呼べるだろう。しかしながら、ラダーフレームは、いわばトラックのシャシーであり、何より極めて実用的な車なのである。逸話に残る、加速時の特徴的な挙動をもたらすチェーンドライブは、元々スペアタイヤをトランク内に置くためのラゲッジスペースの確保が目的であったし、クーペのどこか間延びしたルーフ形状は、実現こそしなかったものの、3人乗りとしたときの後席のヘッドクリアランスを確保することが目的だった。これらは、本田宗一郎氏が無理やり変更を指示したということだ。
 氏は、スポーツカーと暮らすライフスタイルを描いていたのではないだろうか。通勤、ショッピング、そして旅行先にスポーツカーで乗りつける。きっと、スポーツカーを持つことはおしゃれだと考えていたように思う。

 人間がスポーツする車がスポーツカーか? そもそも、車を運転するという行為自体が運動である。人間の運動量が多いということは、それだけ車の状態は安定していないとも言える。果たしてこれをスポーツカーと呼べるのかどうか。

ホンダS800クーペ。
ルーフ後端が、計画より40mm後退して、このスタイルに。

 その運転を楽めることが条件か? 高速コーナーリング、パニックブレーキ、およそ楽しむことの出来ない場面にスポーツを感じる人もいる。では、これをドライバーの意のままに操れることが条件か? そうは言うものの、機械は意思など持っていないのだ。人間が機械に合わせるしかない。乗り手にとっての「スポーツ」とは、機械の潜在能力を引き出しきることに他ならないのではないか。
 Zの父、片山豊氏曰く「乗り手がスポーツカーとして扱えばスポーツカー」という。ただし、これは豊富な経験に基づく達観であり、我々が軽々しく口にできる言葉ではないだろう。現に、片山氏がプロデュースしたスポーツカーは、誰もがそう認めるスタイルを持つ S30 フェアレディZ なのである。

 こうして、考えられる素養を全て包含しようとすると、「トータルバランス」、「テイスト」、「ロマン」などという、有耶無耶な、およそ生産性の無い結論に落とし込まれていく。スポーツカーの議論とは得てしてそういうもののようだ。これらの言葉を否定はしないが、思考停止のためのキーワードとして体良く使われるのなら話は別である。確かに、ひとりひとり異なるスポーツカーの概念が宿っている。そのものさしに照らし合わせて、ある車がスポーツカーであるかどうかを評価しているだろう。ところがそれは、スポーツカーの条件ではなく、文化を背景とした(一部のまやかしを含む)個々の哲学に過ぎない。

 なるべく主観を交えずに考えたい。
 とどのつまり「Quickな車」はスポーツカーのはずである。A地点からB地点への移動がQuickであるということについては、A-B間の距離の認識も、街から街へなり、コーナーのポイント間なり、何にスポーツ性を求めるかによって人さまざまである。
 とはいえ、どのみち「Quick」であるためには、相応の運動能力が必要だ。そこで、「Man」に対して「Sports-man」という言葉が存在するように、「Car」に対して「Sports-car」という位置づけを定めて考えてみる。車という機械の使用感を評価しようというのではなく、機械そのものを評価しようということである。機械の潜在能力が高ければ、ドライバーの技術に関わらずFun to driveを実現できるだろうし、乗らずともその潜在能力の高さを期待させる車は、スポーツカーと呼べるだろう。

 筆者は、強情極まりないバリバリの理系人間である。大抵のことは数字でカタがつくと思っていて、ハッキリ言ってタチが悪い。
 「Quick」であるということは、仕事の効率の良さを示す。どんな車であれ、力を生むのはエンジンであり、力が伝わる路面との接点はタイヤのみであり、それらを支えるのはフレームであることに変わりはない。Fun to driveというキーワードは、機械の提供する性能に、人間が負担なく対応できるかどうかだとすれば、これも、おおよそ人間工学の世界で語れるだろう。時代とともに変わるのは、環境であり、物理的な特性は不変のはずである。

 決してこのテーマを通じて、物事を斜めに見ようというのではない。例えば筆者は、コルベットをスポーツカーとして認識しているが、過去のモデルにおいて、パワーばかり大きくて、直線が速いだけの車はスポーツカーではないという意見も聞こえる。そのような、まやかしめいたものを払拭していきたい。スポーツカーのデザインには、その形を成すだけの理由があるのだということを、数字の側面から考察したいと考えている。 これからしばらくは、このテーマを書くときは、物理の教科書とにらめっこである。

(管理人)

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