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Magni: Italy

モト・グッチのチューナー。


Madfast Motorcycles: Ireland

For kids


Maico: Germany


Malaguti: Italy

スクーターメーカーMALAGUTI。


Manco Products, Incorporated: USA

Bodied Kars, Mini-bikes, Fun Karts, The Deuce


Manxman: UK


Martin Conquest: UK

Martin Conquest.

The Conquest is the world's first series-manufactured high performance motorcycle that can be driven from a wheelchair.


Marusho: Japan

丸正自動車製造株式会社 (Marusho Motor Co., Ltd.)

 本田宗一郎が設立したアート商会浜松支店の従業員(四番弟子)であった伊藤正が独立、1940年に自動車修理工場と自動車部品販売の会社「丸正商会」を創業した。ちなみに、伊藤の独立のきっかけは、夜半までかかった修理作業中に、芸者遊びから酔っ払って帰った本田宗一郎が絡み、いきなり伊藤を蹴り飛ばしたことだという。いつまでも小僧扱いされることに対して堪忍袋の緒が切れたということである。
 その後、丸正商会は、国鉄の浜松工機部から買収を持ちかけられる。伊藤は同部の管理職着任を条件にこれに応じたが、国鉄は伊藤を採用しなかった。業を煮やした伊藤は、本田宗一郎から新たに興した「東海精機」への入社を促され、課長職と株主を条件に入社した(国鉄からの売却益で大株主となり、以後も長く株主であった)。
 1946年に伊藤は東海精機を退職。本田宗一郎が設立した「本田技術研究所」の眼と鼻の先に自動車修理工場を立ち上げ、1948年に自動車ボディーの製作業として「丸正商会」を再興した。

 同社のエンジン技術者であった溝渕定(Sadamu MIZOBUCHI)は、ホンダの技術者となった河島喜好(本田技研工業二代目社長)の同級生であり、河島の活躍を知って伊藤にオートバイ製造を進言する。伊藤は本田への対抗心からこれを応諾し、最初のモデル「タイガー号」を6台生産した。当時、チェーンの耐久性に対する不安から、タイガー号はベルトドライブを採用していた。これが瞬く間に買い手がついたことから、本格的にオートバイ製造への進出を決断する。
 本格進出後初のモデル「ライラックML号」は、タイガー号で露見したベルトドライブのベルトの伸びの問題を解決し、また、ホンダとの違いを際立たせるために、シャフトドライブを採用した。シャフトドライブのために必要なべべルギアの生産のため、歯車加工の部品メーカーを探す必要に迫られたが、これに協力したのが河島喜好であったという。

 ホンダ・ドリーム発売から1年後の1952年、ドリームと同じOHVエンジンを採用した「ライラックKD号」を発表。1953年3月の名古屋TTレース(中部地区のオートバイメーカー19社が、それぞれ3台のバイクを出場させるメーカー対抗形式のレース)において好成績をおさめる。何より、他車がチェーン脱落やパンクのトラブルに見舞われる中、シャフトドライブはタイヤ交換の簡便さもあり、その優位性を知らしめることとなった。追加モデルKEと共に、ライラックは「チェーンの無いオートバイ」のキャッチフレーズで有名となる。

 同年同月、本社(営業拠点)を東京に移転。増産によって税務署の抜き打ちの立ち入りが頻繁になったことに端を発し、伊藤が本田宗一郎に相談した際に「東京は大企業が多く、『浜松の大企業』が移転したところで、税務署は見向く暇もない」というアドバイスが決め手となったという。
 翌月、 ベビーライラック号を発表する。ヘッドライト、燃料タンク、ハンドルを一体としたユニークなデザインと女性でも扱いやすい機構を採用し、ヒット商品となった。前年ホンダが発売した補助エンジン「F型カブ」が、取り付けた自転車のスポークが折れたりチェーンが伸びたりという問題を抱えていたことを知り、自転車より小さな完成車を目指して開発したものである。

 昭和30年開催の浅間火山レースでは、19のメーカーが参戦する中、有力と目されたホンダ・ドリームを破って優勝、同社の技術力を世に知らしめた。
 しかしながら、以降は大量販売を志向し、広報活動に経費を傾注し始める。伊藤は部品生産は外注した方が簡単であるという考えから、自社内での技術蓄積は遅れ気味となる。溝淵らは技術者教育の必要性を感じて、後に東大の生産技術研究所への研修制度を設けたほどであった(これも1期の研修が終わるころには、後述の倒産の最中であった)。
 1959年発売の「ニューベビー」は、ベビーライラックの後継として発売されたが、ベビーライラックより小型のボディが華奢であると不評を買い、わずか1年で生産を中止する。
 この頃から経営は不調に転ずる。メインバンクの大和銀行はスズキとの提携を持ちかけるが、本田の弟子であった伊藤は、忠義としてこの打診を断ったことで厳しい金融引き締めを迫られた。

 経営難の中にあって、なお高性能車を送り出していた丸正は、1961年、ライラックモペットAS71を発表する。中空のモノコックフレーム内にエンジンをおさめ、フェンダー、サイドカバーともプラスチック製としたことで、車体重量はわずか10.5kgという超軽量モデルであった。しかも、Vベルト、自動変速機、駆動ギアを1体のケ-スにまとめて、このケースで後輪を懸架させるという、現在のスクーターにおいて常識的な機構の先駆的なモデルでもあった。
 このAS71に対して、三菱重工は、同社が生産していたシルバービジョンの小排気量クラスモデルとして注目し、販売権の譲渡を申し出る。丸正は、三菱の販売力に期待して、高額の設備投資を行うことでこれに応じた。三菱は「ビジョン・ゲールペット」の名称でAS71を販売する。
 ところが三菱は、並行してスクーター事業から撤退し自動車製造に転ずる方針を進めており、「ビジョン・ゲールペット」はその時期のつなぎのモデルに過ぎず、提携は半年ともたず破棄された。三菱に販売権を譲る段階で、丸正の販売店には保証金も担保も返却して契約を満了していたため、販売ルートは閉ざされていた。
 末期的な状況の中、今度は、当時実質的な経営を主導していた溝渕が、改めてスズキに救済を打診する。しかしながら溝渕を懇意にしていたスズキも経営が思わしいといえる状況ではなく、この打診を拒まざるをえなかった。

 結果、「ホンダよりも技術力に勝る」と称された丸正自動車は、1961年10月12日に倒産した。
 このとき伊藤は、本田宗一郎のもとに出向き再建協力を求めた。丸正は、ホンダの下請けとなることを前提に和議を申請し認められた。だが、伊藤はホンダの下請けを担うことなく、新型車の開発に邁進し、本田もこれを見て見ぬふりをしていた。1962年、東京モーターショーにおいて「ライラックR92」を発表。500ccの大排気量車を、高速道路網が発達しているアメリカに輸出することに活路を見出した。現地販売代理店として契約したのは、ロサンゼルスで「松すし」という寿司屋を経営する日本人であったという。
 ところが、債権者らはアメリカへの渡航費用でさえ借金返済に充てるべきと督促を繰り返し、アメリカでは仲介の外交官が高額な手数料を要求する事態となった。
 丸正は再建中であり、前金を納めなければ資材の購入もできなかったこと、挙句には債権者が丸正の再建を無理とする風評を流すまでに至り、伊藤は開発を断念、1967年に会社経営を債権者代表の手に委ね、自身は廃業した。
 溝渕は、その後、ブリジストンサイクル工業に入社。 ブリジストンを退社後は台湾に渡り、同国のオートバイ産業の礎を築く。 帰国後、浜松餃子ブームのきっかけとなる超小型餃子製造機を開発。2000年7月には、株式会社テクノマイスを設立。現在に至る。
 伊藤正は、2005年に92歳で逝去した。


Masston: China

Electric Scooters, Electric Bikes, Gas Scooters and Mini bikes.


Max: USA

Recreative Industries Inc., MaxATVs are Amphibious Six-Wheel Drive All-Terrain Vehicles.


Maximum MetalWorks: USA

Maximum MetalWorks

Custom motorcycle frames.


Maxus: China

Maxus Industrial Group (China) Limited.


MBK: France

Yamaha Group


Mecatwin: France

Cafe-racer conversion kits powered by Triumph and Harley-Davidson 


mDESIGN: Germany --- Design studio

Designing of motorbikes.


Mecatecno: Spain

Derbiを退職した3人の技術者によって、1983年に創業。いくつかのモデルでMotori Moriniエンジンを採用しながら1989年まで営業した。


Mega Machines: Germany

German made V8 Motorcycles


Megelli: UK

Megelli motorcycles

2006年6月創業の新興メーカー。
2005年4月に市場調査を開始し、同年6月にデザインを開始。2006年1月より開発を進め、2007年10月、125ccのモタード、ネイキッド、およびスポーツタイプの3種がEECの認可を得る。同年11月のミラノショーにて初披露、翌12月NECモーターサイクルショーで、イギリスに初めて姿を現した。


Meguro: Japan

目黒製作所。


Meihatsu: Japan

川崎明発工業株式会社


Mei Tian: China

Shanghai Meitian Motorcycle Co., Ltd.


Merch: USA

Merch Motorcycles


Merlin: Spain

1989年、GASGASと合併。


Metry Custom Cycles: USA


Midual:  France

新興メーカー。


Midwest Choppers: USA


Miller Industries: USA


Minneapolis Custom Cycle: USA


Mirage Motorcycles Inc.: Canada


Mitsubishi: Japan

新三菱重工業株式会社。シルバーピジョンなど。


Miyata: Japan

宮田製作所。現在は自転車を製造。


MODENAS: Malaysia

モデナス。小型バイクメーカー


MOGO: UK


Mondial Moto S.p.a.: Italy

 モンディアル。
 1947年、ミラノ近郊の貴族、ジュゼッペ・ボゼッリ伯爵と2人の兄によって創設。
 79年、事業終了。
 その後80年代末にはヴィラ兄弟に経営権が移り、90年代はじめになってボゼッリ伯爵の甥の管理化となりKTMのシングルを使うレーサーを制作する。
 2000年、世界第4位の印刷資材メーカー、ラストラ社の経営者ロベルト・ツレッティが商標を買い取り、ホンダエンジンを搭載したスポーツバイクで復活を遂げた。


MONDIAL S.A.: Argentina


Montesa: Spain

モンテッサ(Montesa / Montesa Honda S.A.)


Monto: India

Monto Motors Ltd. 
Monto Motors Ltd. has been established by Pacco Group of Companies in the year 1997-98.


Motobecane: France


Motobi Motors: Netherlands

モトビ。1950 - 1973


Motograziella: Germany


Moto Guzzi: Italy

モトグッチ

 


Moto Laverda S.p.A.: Italy

 19世紀後半、北イタリアのブレガンツェで農業機械の生産を開始。
 戦後、エンジニアであった2代目社長のフランチェスコ・ラベルダが開発した74ccのOHVモデルオートバイ生産に参入。50年代に入ってから本格的に生産されたスポーツモデルは、1000~3000kmいう長距離の国内の公道レースで大活躍した。
 その後、徐々にオートバイ部門を拡大し、高い品質と緻密な設計を武器にブランドイメージを確立した。
 しかし、自ら課した品質の高さ故の高価格が仇となり、安価で扱いやすい日本のスーパーバイクの攻勢によって、経営上の収支を悪化させていく。イタリア国内で人気が高い125ccに狙いを定め、LB1 125が好評を得るが、会社の収支を好転させるには至らず、ラベルダ兄弟は会社を売却し、オートバイの生産を中止した。
 その後、ラベルダ社は次々と所有者を変えるが、'91年、ランボルギーニから引き抜かれたアンジェロ・フェラーリによって、フレーム生産によるスペシャルモデルのコンストラクタとして、ブランドを復活した。


MOTOM: Italy

MONDIAL MOTO S.r.l.


Motomex: Mexico

Grupo Motomex.
Izuka (original motorcycle brand), Delta (Equipos Industriales), and importer of Kawasaki, Peugeot, Kymco, Bajaj, Hartford, and Dinli


Moto Martin: France


Moto Morini: Italy

Moto Morini SpA モト・モリーニ

 1914年、わずか16歳であったオートバイ修理工 Alfonso Morini が独立、折しも第一次世界大戦開戦直前であり、戦時中に駐屯していたオートバイ部隊の仕事を請け負う。その仕事ぶりを評価した Mario Mazzetti はレーシングマシンの製作を依頼し、レーサーとして Morini を雇用する。マシンは二人の頭文字と排気量からMM125と名付けられ、多くのレースでいくつかの世界記録をはじめとする好成績を残した。

 1937年、MMから独立し、Moto Morini を創業。350ccと500ccのオート三輪の製造を始めた。しかし、第二次世界大戦が勃発すると、Moto Morini の工場は航空機の部品製造を請け負うこととなる。1943年、工場は爆撃の被害に会った。
 1946年、モーターサイクル製造を開始する。ここでも、モータースポーツにおいて、1960年頃までに多くの実績を残した。
 1969年6月、Alfonso Morini が71歳で逝去。娘のガブリエラ・モリーニが跡を継ぎ、1970年には元フェラーリのFranco Lambertiniが加入する。
 Franco Lambertini は1970年代初頭にV型2気筒350ccエンジンを設計する。モジュール式の設計のため単気筒への転用も容易であり、その後、125ccおよび250ccの単気筒、そして500ccのV型2気筒に発展。その基本設計を10年以上に渡って継承した。

 1980年代に入ると、販売台数減少と激しい労働争議に伴って業績が悪化した。Harley-Davidson は、Moto Morini のV型エンジンに興味を持ち、小排気量モデルでの使用を検討したが、Moto Morini の財政問題が障壁となり頓挫した。1987年2月18日、ガブリエラ・モリーニは、工場を Cagiva に売却し、経営から退いた。

 Cagivaの傘下となって以降、Moto Morini は、旧来のモデルの改良版を送り出すに留まる。Cagiva の支援も充分なものとはいえず、Franco Lambertini が新たに開発したエンジンも Cagiva が興味を示さなかったことから、Lambertini は Gilera に移籍してしまった。1993年、一部工場の閉鎖を決定。1996年、Cagiva は Ducati と共に、Moto Morini の名称の使用権をTexas Pacific Group (現 TPG Capital) に売却した。

 Texas Pacific Group には、Moto Morini を復活させるための計画はなく、ブランドは事実上 Ducati が所有する形となった。1999年、Morini Franco Motori S.p.A が名称使用権を取得する。Morini Franco Motori は、モーターサイクル向け小型エンジンメーカーであり、Alfonso Morini の甥 Franco が1954年に創業した企業である。2003年、Morini 一族と Gianni Berti の合弁で、Moto Morini SpA として再興。2004年のBologna Motor ShowにCorsaro 1200を出品し、活動を再開した。


Motorcycle China: China


Motorcycle Export: China

ATVs, GO KARTs, SAND BUGGYs and DUNE BUGGYs


Motorized Electric Scooters: USA

Motorized Electric Scooters


Motor Union Italia : Italy

モーターユニオン。バイク・スクーター


Morbidelli: Italy

モルビデリ 


Motorhispania: Spain

MH MOTORCYCLES


MP Korado: Czech Republic

MP KORADO CZ, s.r.o.

1994年創業。"Manet"の名でモペッドを生産する。
近年は、自社オリジナルのスクーターのほか、Hartfordの代理店を担う。
なお"MP"とは"Motor Puch"の略称。


MTT: USA

Marine Turbine Tec.


Muench: Germany

60年代「史上最も高価でパワフル」と言われたミュンヒ マンムート。2000ccのエンジンを得て復活


MULE MOTORCYCLES: USA

A Custom Motorcycle Builder Harley-Davidson Replicas - New URL.


MuZ / MZ: Germany

MuZ / MZ --- Motorrad und Zweiradwerk GmbH


MV Agusta (Motorcycle): Italy

MVアグスタ。
  1920年、Giovanni Agustaが軍用及び民間飛行機の製造及びメンテナンスを行なうConstruzioni Aeromautiche Giovanni Agusta社を設立。27年、イタリアで初のスポーツタイプ単葉機開発に成功した。しかしGiovanniが同年死去。事業を、妻であるJosefena Agustaが継承する。
 1943年、98cc、2サイクル単気筒エンジンを搭載したモペッドでモーターサイクルの開発を開始。

 1945年、第二次世界大戦の終結によって、敗戦国となったイタリアは航空機の生産を禁止された。そこで Giovanni の子息 Domnioco は、モペッド製造部門を子会社として分離独立、MV Agusta社を設立した。MVとはMeccanica(工業) Vergheera(地名) の頭文字を表す。
 48年、ロードレース活動を開始。後に通算3027勝、うちWGPでは270勝を獲得した。特に56年は、125cc、250cc、500ccで、58年には125cc、250cc、350cc、500cc各クラスにおいてワールドチャンピオンを獲得。その名声を不動のものとした。
 1971年、Domniocoが死去、弟の Corado が継承する。1976年、社業を航空機に一本化する方針を打ち出し、オートバイ部門とレース部門を解体すると発表、レース活動を停止する。1977年には、モーターサイクルの生産ラインを停止した。

 97年、Cagiva を経営する Claudio Castiglioni は、理想とする「世界最高のパフォーマンス」を持つマシンの具現化として、「大排気量、4シリンダーエンジン搭載マシン」の開発を進める中で MV Agusta ブランドを獲得。Ferrari からの協力を得て Cagiva Reserch Center においてMV Agustaモデルの開発に着手し、F4 Serie Oroをミラノ国際ショーで発表。MV Agustaの再興は全世界で反響を呼び、98年にこれを限定生産、市場に復活した。
 99年、Cagiva S.p.A は、経営戦略上の理由から社名をMV Agusta motorと変更。2001年7月24日、Piaggioから資本の20%を受入れる契約に同意した。2004年、Proton が 7000万ユーロで買収。2005年、地元イタリアの GEVI に1ユーロで売却される。その後も経営不振からは脱却できず、2007年7月には Hasqvarna を BMW に売却。そして2008年7月11日、Harley-Davidson が MV Agusta Group 本体 を、1億900万ドルでの買収することに合意した。


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