1923年、テキサス州リースバーグに生まれたキャロル・ホール・シェルビーは、ル・マンでの優勝など、主にスポーツカー・レースでその名を馳せました。狭心症が原因でレースを引退して以後、レーサー時代からの自らの夢であったアメリカ製スポーツカーの実現に取り組みます。

1956年、フェラーリのワークス招聘時に、エンツォ・フェラーリと会見した際、その尊大な態度を良しとせず、また、1958年にシェルビーの親友であったレーサー、ルイジ・ムッソがフェラーリを駆ってレース中に事故死した事によって、そのスポーツカーのアウトラインは「フェラーリに挑み、凌駕することを使命とする」ものに固まっていきました。

1961年、イギリスAC社とのコンタクトにより、アメリカンV8を積むスポーツカー「コブラ」のベースとして、860kgの軽量モデルACエースを選択します。エンジンは当初シボレーを希望していましたが、GMに断られたため、フォードに打診してエンジンの供給を受ける事となりました。

1962年2月、4.2リッターエンジンを260psにチューンした最初のコブラが生まれました。その後、レースシーンのフィードバックにより4.7リッターにスープアップ。1965年にはついにフェラーリを破りFIA GTチャンピオンとなります。

この年、本来の最新兵器として7リッター(427ci)エンジンを積む、427コブラを参加させる準備をしていましたが、フォードがGT40を登場させた事もあり、427コブラの舞台はアメリカ国内に限られました。しかし、425ps、1.15tと軽量かつ大パワーの427コブラは、0-400m:12.2秒、最高時速260km/hを誇り、世界最強のロードゴーイングとして君臨。1967年にアメリカ連邦安全基準に合致できなくなったことで生産を中止するまで、348台が生産されました。

1980年代のはじめ頃から、世界中のコブラ愛好家のあいだで、コブラの再生産(リプロダクション・レプリカ)のために多くのメーカーが誕生しました。

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